ゴローズの歴史

  • ゴローズの歴史
  • 高橋吾郎の年表

    1939年6月29日

  • 6人兄弟の末っ子として生まれる。
  • 中学生時代

  • 臨海学校の期間中、レザークラフトをしていたアメリカの駐留兵に出会い、その技術を教わるようになる。
    この出会いによりレザークラフトの門を叩くこととなる。
  • 中学卒業後

  • 駐留兵から譲り受けた細工技術や道具を用いて、本格的なレザークラフトの販売を開始する。
    この頃より、独自のセンスが徐々に周りに認められていった。例えば、アメ横にある中田商店にて180円のレザーにカービングを施し、再度中田商店に持ち込んだところ900円で買取されたというエピソードがある。
  • 1966年

  • 27歳の時に青山に小さなショップをオープンする。
    ベルト、ソファ、ジャケットなどのレザーアイテムを多く手掛けていたが、60年代後半からは真鍮のバックルなどの製作も始める。
  • 1971年

  • 青山から現在の原宿に移転する。
    この頃より、幾度となく渡米を繰り返して、現地のインディアンたちと交流を深める。
    インディアンの間で伝統的に行われてきた儀式のひとつである「スウェットロッジセレモニー」を受ける。
    ※この儀式はスウェットロッジ(発汗小屋、ラコタ語でイニーピー)の中で、薬草の香気を含んだ蒸気によって大量に汗をかき、魂(スピリット)を浄化(デトックス)して、さまざまな業(カルマ)を取り除くことで原点回帰し、自己を再生させる儀式と言われている。
  • 1973年

  • インディアン最大の儀式である「サンダンス」に参加する。
    ※この儀式は初夏から夏至のシーズンに4日間に渡って行われ、大自然の全ての源「大いなる神秘」(宇宙の真理)との対話を重要視するインディアンにとって、最大の儀式と言われている。4日間、食べ物も水も口にすることを許されず、周囲の呪い師たちが儀式の歌を歌い、ドラムを打ち鳴らす中、ひたすら大地を踏みならし「太陽の踊り」を踊り続ける。そしてそのラストに行われるのが「ピアッシングの苦行」。鷲の爪を肉体に通し、それが千切れるまで踊り続けるという大変に苛烈なもので、その厳しさゆえに、白人たちには「若い戦士が勇猛さをアピールする通過儀礼」と解釈されることもあった。しかし本来は、かけがえのない肉体や苦痛を大精霊に捧げることで、部族の発展と安全を祈る、という意味合いを持っている。
  • 1979年8月20日

  • 日本人で初めて「イエローイーグル」というインディアンネームを授かり、アメリカ北西部サウス・ダコタにてインディアンとして認められる。
    ※「イエロー」とは太陽、つまり東を意味し、「東から来た鷲」という意味になる。鷲(イーグル)は空高く飛ぶことから、インディアンの間では最も神に近い存在とされていることを考えると、最高の名前を授かったと言っても過言ではないと言える。インディアンからシルバーの彫金を学ぶことなどを通して、現地のスー族というインディアンのメディスンマン(呪術医)のヴィジョン(お告げ)によりつけられたとされている。
  • 1987年

  • シルバー製品の取り扱いを始める。
    この頃から全金アイテムも製作されており、当時は素材に24金が使われていた。そこから、強度があり長年愛用できるという理由で現在の18金を使う形となった。
  • 90年代前半〜後半

  • アメカジスタイルを取り入れた「渋カジ」スタイルの流行でアクセサリー需要が増加。
    また、裏原宿を盛り上げていたGOODENOGHの藤原ヒロシやNEIGHBORHOODの滝沢伸介などがゴローズを身に着け始め、これらをきっかけにゴローズブームが到来する。
    裏原宿系のブランドが流行し、時代の象徴ともいえるブランドとなる。
  • 2013年

  • 他界。告別式は、12月11日に執り行われた。
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